わたしたちどこにも属さず群れずにすっと最高でいられるねと確かめ合うように仲良くできた、殆ど恋に近い思いを抱いていた友人が突然いなくなってしまってから約一年がたって、これからの人生でわたしたちが私たちであることを理由にどんな出来事があったとしても、馴れ合わず懐かず強く静かに生きる彼女とぶらりと会って話して、自分の好きな自分で生きていけると信じていた私は、当然のように正気でいられるはずもなく、彼女が選別にくれた湯呑みとお箸で何かを食べて生きてることに、涙が溢れる日々だった。どんな場所も見知った顔が増えるほど居心地が悪いのはずっとそうで、毎日一緒にお昼を食べていながらインスタのアカウントを知らないとことか、そういう捻くれた部分で共鳴し合えた彼女が世界を絶ったことに、未だにエゴに似た絶望を感じている。まさに友部正人が言うところの「僕は僕のいない町で暮らしたかった」であるし、ズーイが言うところの、「ときどきここにごろりと寝転んで、そのまま静かに死んでしまいたくなる」。例え数年に一度でも、会って話すことがすべてだと強く思う。