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先日久しぶりに宗教に触れた
私自身はある特定の信仰はない、人に愛されるために信仰心のある素振りをするのは神がいるとすれば最大の冒涜だという自覚はある、私は祖父母のことが本当に好きだけど家族を愛する心は美しいようで他人を見て自分の中に流れる血を確かめるある種究極の自己愛だという葛藤もある
まだ私が幼く潔癖だったころ、理解し得ないと思った母と沢山話をした
わたしの偽の信仰心を見抜いてもなお肯定する母親を尊敬する
熱心な宗教家である母親の家庭と結婚した科学者の父を尊敬する
病気にすら感謝ができる祖父母を 家族が人の悪口を言っている姿を一度も見たことがないことを考える 心の本当に自由な部分を他人に晒される苦しさを考える
そんな人たちをある一点の思想だけで悪くいうなら勝手にしろよと思う
苦しいよ〜とても 馬鹿ばっかで、疲れるよ
半袖
喫茶店の制服で半袖のポロシャツが支給された。
ただでさえ二の腕がコンプレックスで普段肘より上の丈の服は選ばないのに、一緒に働くパートのおばちゃんたちはみんな小柄で細くて、カウンターに座るエロオヤジたちになんか言われるのは目に見えてる。
絶対着たくなくて、それをパートのおばちゃんと、火曜と日曜に恋人のゲームに付き合って一日中カウンターに居るjさんに何気なく話したら、そんなの気にしなくていい、なんか言ったらわたしたちがぶん殴ってやるって言ってくれて、泣きそうになっちゃった。
自分より歳上の女性に救われること、幾つになってもたくさんあって、わたしもそうなりたい。
どうしても何か食べたくて食べ物を口に入れて噛んで吐き出すこと、バイトでもらう袋に入ったパンを食べないように汚してからゴミ箱に入れること、そんなこと想像すらせず(してるのかもしれないけど)安易に体型のことを口にしてくる小太りのおじさんたち、心の中では心底軽蔑しているし、二度と信頼できない。勝手だけど、どうかわたしの好きな人たちにはそんな歳の取り方をしてほしくないと願う。
それで良いじゃん
最近すごく調子が良い。
ダイエット頑張ってるし
たくさん映画観てるし
音楽や映画について話す相手もいる。
自分の悩みを少しずつ自分で解決できるようになったからかなと思う。
去年まではふたりの生活で
いまはひとりで世界を広げていて
それで良いじゃんと思える。
いつもいつでも楽しくいたい。
怒り
理不尽なことが生理的に本当に嫌いでそういう主題の作品にはあまり触れないようにしているのだけど、映画を観て、どうしようもない状況になった(借金とか失業とか離婚とか)大人が出てきたときには何とかその人の粗を探してそれが原因で彼はそうなったんだ、だから彼の行いが悪いんだ、だから私はそれをしなければ大丈夫だって安心しようとする。理不尽なことが嫌いなのは自分に同じことが起こり得ると思うと怖くて堪らないからだと思う。(こういう心理状況に名前がついているらしいけど何だっけ。)
だから子供とか、生まれたときからどうしようもない状況にある人の物語をみるとどうしても理不尽なことはあるって事実を突きつけられて辛くなる。自分は幸運だったなと心のどこかで思うけど、手放しで喜んで日々を過ごすことができなくて、自分がそういう立場だったらどうしよう、どう過ごせば幸せなんだろうと延々と考えてしまって落ち込む。
悩んでいても仕方ないのかもしれないけど考えることは必要で、未来は変わると信じることでしか未来は変えられないっていう事実に打ちひしがれず、いつか来るかもしれない自身の生活の変貌に、備えるしかないのかも。
えいやっ!
自分の主張を相手に押し付けないことよね。
不倫をした人(家庭を持っている側)と、
不倫した人(家庭を持っていない側)
不倫は幸せになれない、といいながらも、
否定はしないし、話は聞くよと言ってくれて嬉しかった。
してないけど。。
そんなに好きになれる人がいることがまず羨ましい。
愛を持て余しているな。
へべれけ
搾乳のKさん、Hっしーさんと。
シフト終わっても12時くらいまでお喋りしてて、そのあと飲みに連れてってもらった。
Kさんほんとに来てくれて、プリンも持ってきてくれて嬉しい。ほんとに、優しくて、素敵な人よ。幸せになろう。
誰かと一緒に生活を共にすることも大切だったかもしれない、と言っていた。
どんな人と出会えるのかわくわくしていたい。