やるせなさ

わかってほしい人にわかってもらえなかったとき、

その人に対する失望と、世の中に対するやるせなさのようなものを感じてしまう。

 

付き合っていた彼氏が、飲み会のネタで私の大切な友人の、

セクシャリティを馬鹿にするようなことを言ったのが許せなくて、

その場で少し否定する、のに加えて、

飲み会がおわったあと彼の家に行き、

感じた違和感を話した。

 

そっか、とうなずいてくれて私は満足していた、

話さずに勝手に相手のことを諦めるなら

伝えて嫌われたほうがまし、と思って、覚悟して。

でもダメだった。

あのときの私はめんどくさかった、と、

友人に話していたらしいことを知ってしまった。

 

その人に対しての失望や怒りはもちろん、だけど、

適当にあしらっていただけだったことや、

人に対する不誠実な姿勢、

この8か月間、私が少しでも信じていたものはなんだったんだろう。

何より恐ろしいのは、世の中はこんな人間で溢れているんだな、

ということで。

我慢してうなずくことが、

理論より協調を求めることが、

美しく生きることよりそんなに大事なのか。

 

10年来の友人に、生きるの大変だね、となだめられた。

こういう人もいる、というのは本当に救いだった。

自ら選んだ人と友達になる、のがすごくいやで、

どうしても分かり合えない人種もいる、

そういう世の中の現実から目を背けていたけれど、

それは自己防衛のために身に付ける強さなのかな。

 

私に見る目がなかった、っていうそういうことになるんだろうか。

それでもあきらめたくない私は欲張りなのか、ロマンチスト過ぎるのか。